行 動 記 録
2000年8月7日
成田16:00〜イスラマバード7:00(現地時間3:00)
飛行機の調子が悪く、北京で足止めをくらった。
8月8日 晴れ
イスラマバード10:30〜ベシャム18:10
昨夜の到着が遅れたため、出発を遅くした。
ベシャムのホテルは、新築だと聞いていたが、まだ、建設中であった。
8月9日 晴れ
ベシャム5:30〜チラス10:30〜ギルギット14:00〜フンザ17:30
予定の遅れを取り戻すため、今日は強行軍。
ギルギットで、マンゴーとスイカを購入。スイカ(ウォーターメロン)は日
本のものとは似ても似つかないもので、ウリとメロンの間の子のようだった。
8月10日 くもり
フンザ8:30〜ウルタルベースキャンプ(3200m)11:10
B.C.12:10〜フンザ14:20
ホテルと登山口の標高差が、200mくらいある為、車で出発。現地のガイドを雇うことができなかったらしく、ナシャドが途中までついて来てくれた。ピンチヒッターとして急遽私たちのガイドになった彼は、何も準備できておらず、カッターシャツに革靴と言う下界スタイルのままであったので、体調が悪くなった飯田さんとともに、途中で引き返した。
そこは、観光名所で2人の日本人女性がガイドを連れて歩いているのと会う。
サンダルだった。
谷底を1時間ほど歩いて、川沿いに30分歩くとレディーフィンガーレストランに着く(3000m)。ただの小さな茶店 (石積小屋=カルカ)である。ウルタルB.C.にも同じような茶店があることを知っていたので、ここでは飲ま先に進もうとすると、店のおやじが上の店と自分の所の値段を比較して、自分の所で物を注文するように薦める。 しかし、お茶は景色の良い所の方がおいしいに決まっている。
せっかくB.C.まで来たが、残念ながらまったくウルタルは見えない。
ホテルには、日本の団体旅行客も泊まっていて、そのコンダクターのおかげで、夕食はきわめて日本人好みであった。
8月11日 曇りのち晴れ
フンザ6:40〜ススト(2820m)8:55 ススト11:50〜ミスガル12:20〜アラームダリッジ(3220m)15:00
スストでハイエースからジープに乗り換え、ミスガルでポーターを雇う。
ミスガルとアラームダリッジ間の土砂崩れのため、トレックを少し手前から開始。1時間半ほどで、着いた。ポーターとしてアミールベイクという人が来た。彼は数学・英語の教師で、狩りが好きだと言う。今までに300頭のアイベックを獲った。アイベックは朝と夕方に行動するから、見つけたら見せてやる。このあたりの山は、歩きまわっていて自分の庭のようなものだ。グルカワジャル氷河の奥にある山も登った・・・。などなどとにかく良くしゃべる男だが、このあたりの地理に詳しそうなので、良い人が来たと喜んでいた。
私たちは、日・パトラベルの督永さんのグルカワジャル氷河の奥に登れそうな山があるという情報から、偵察の結果登れそうなら初めの予定を変更して登ってしまおうと考えていた。その為にこのアミールベイクの情報は大変役に立つものである、と思ったのだ。
8月12日 晴れのち曇りのち雨
アラームダリッジ7:30〜ムルクシ(3,600m)13:00 14:00 キリック峠の途中(3,800m)15:00
川の側を緩やかに登りながら、歩を進める。米山さんと池内とナシャドで散歩をする。
8月13日 雨、曇り
ムルクシ7:30〜ヤトゥンゴート(3900m)11:30
長い渡渉があった。膝下の浅いものであったが、水が大変冷たく、靴をぬらすのが嫌で裸足で渡ったので、もう少しで倒れるところであった。帰りはヤクに乗ることにする。
8月14日 曇り時々雨
ヤトゥンゴート7:35〜B.C.(4100m)10:20
(写真はグルカワジャ・ウルウイン氷河)
B.C.を4400m付近にするつもりで、ムルクシとB.C.の間で一泊したのであるが、4100mしかない。13日にここまで来ることができたのである。1日のロス。おまけにムルクシとB.C.は右岸にあり、左岸のヤトゥンゴートに泊まる必要がなければ、あのきつかった渡渉をしなくてすんだのであった。池内はひとりで4300mまで散歩に行ってきた。一人で行動して何かあった場合どうしようもないので、今度からはガイドなりアシスタントハイポーターなりと一緒に行くように注意された。13時ごろ池内とアシスタントハイポーターのハザルカーンとアミールベイクでグルカワジャル氷河を偵察。氷河の上を4300mまで行き、ガスってきたので引き返す。遠くから見た感じでは、下半分が無理そうだ。しかし、アミールベイクは、登れる。今のこの格好のままでも行ける。一日だ。と言う。明日アリモサとハザルカーンでもう一度偵察してもらうことにする。夕方に、ハイポーターのアリモサが到着。
8月15日 快晴
(写真はミンタカ峠への登り)
B.C.6:35〜ミンタカ峠(4580m)9:45 ミンタカ峠11:00〜B.C.14:00
メンバー全員とナシャドとアミールベイクで、ミンタカ峠へ行く。資料では4700mを越えているはずが、4600mに満たず、少々残念であった。去年も感じた事であるが、パキスタンの峠は日本のそれとはまったく違ったもので、こちらの峠は日本の高原ほどもある。B.C.に帰るとすでにアリモサたちは、帰ってきていた。彼らによると氷河の末端からは取り付けないという事であった。雪崩と氷のついた岩場でルート工作するのに1週間はかかるという。アミールベイク・・・! 結局アイベックを見ることはできなかった。
8月16日 快晴
B.C.7:15〜ムルクシ12:00〜プットシーン(3565m)13:30
ムルクシとアラームダリッジの間のプットシーンで幕営。
昨日の偵察の結果、予定通りに次のイルシャッド峠に向かう事になった。
8月17日 晴れ
プットシーン6:50〜アラームダリッジ9:30
10:30〜ススト10:20
8月18日 雨
ススト7:30〜ジアラット(3505m)12:00
雨の中、ジープでの移動となった。このたび唯一の下痢はこの雨の影響と思われる。この日から、スストとジアラットの間の村に住んでいるニガバーンというこの土地に詳しい人を道案内人に。
8月19日 雨のち晴れ
ジアラット11:10〜ズイウルトとB.C.の間(4140m)14:30
17:00〜ズイウルト(4065m)17:23
昨日からの雨が断続的に降り続いて、出発が大幅に遅れる。先発は米山さん・池内・アリモサ組、後発は体力温存のため雨宮さん・飯田さんの乗馬組、に分かれて出発した。先発隊は、アリモサのスピードについていってキャンプサイトを通り越してしまい、人が呼びにきてくれるまで2時間半も待つこととなった。しかし、運動不足であったため、久しぶりに速く歩いた歩いたことで満面の笑みでズイウルトに戻れた。チャプールサン川は、途中からモレーンで埋まったようになり、現在地が分かりにくい。
8月20日 曇り
ズイウルト7:30〜イルシャッドB.C.(4225m)8:30
この日はなんと行動時間最短記録の1時間。またもやB.C.が100m以上も低い。しかし、キルギス峠との間にテントサイトがないため仕方なくここで幕営する。計画していた峠は、実はイルシャッド峠ではなくキルギス峠ということがわかった。また、峠の北はボボンピークで我々がアタックする南の山は無名峰であるという。頂上直下の10mくらいは雪もついておらず壁のように見える。
8月21日 晴れ
パッキリ・ピーク登頂 B.C.7:00頃〜ABC(4830m)9:30
12:00〜5220m峰13:30〜ABC
先に行って偵察・ルート工作してもらうため、アリモサ・ハザルカーン・ニガバーンは5:30に出発。我々が着いた時には、3人はすでに無名峰の中腹にまで達しており、アリモサとハザルカーンは登頂を果たした。A.B.C.からようやく雪が出てきた。天気の保証がないためその日のうちにアタックをかけることにする。先発の3人が戻ってきて、米山・池内・アリモサ・ニガバーンは無名峰に、雨宮・飯田・ハザルカーンはボボンピークへ、出発。
無名峰・・・北面の雪の斜面を1時間半かけて登る。固まった雪の上には急なところで膝下ほどの雪が積もっており、フィックスを張っていてくれたが下りで念のため利用するくらいの傾斜であった。4,5個所、小さなクレバスがあったため途中からコンテニュアスで進む。北面には頂上直下にも雪がついていて、歩くことができた。頂上にケルンを積み、A.B.C.に帰る。
(写真はパッキリピ−ク頂上の池内隊員)
8月22日 雪のち曇り
ABC7:00頃〜B.C.8:30頃
今日は、米山・池内はボボンピークへ、雨宮・飯田は無名峰へ登る予定にしていた。しかし、雪が降り、無名峰の北面は平べったい斜面で雪崩の危険もあったため、B.C.へ下山。ポーター達の盛大なお出迎えを受け、花飾りを首に踊る。無名峰を『パッキーリピーク』と名づける(パキスタン・キルギス)。
8月23日 晴れのち曇りのち雨
B.C.7:30〜ジアラット12:00 14:30〜ススト18:00
ピックアップトラックに3時間半揺られ、スストのホテル到着。この旅で一番つらかったのがこの3時間半。
8月24日 晴れ
ススト7:30〜クンジュラブ峠〜タシュクルガン15:00
日本でとっておいた中国のビザで入国。予定より早くなったためガイドが居らず、ホテルをとるのにも大変であった。
8月25日 晴れ
タシュクルガン7:30〜カラクリ湖10:00〜タシュクルガン
カラクリ湖から、ムスターグアタを見る。非常に大きななだらかな山である。車を調達できればこの日のうちにスストへ帰る予定であったが、乗合バスで明日帰ることになる。中国では、あまり英語は通じず、電話はススト(ナシャド)へ通じず、完全に孤立して、ガイドのありがたみを感じる。食事はパキスタンと比べれば、おいしかった。飯田さんのおかげで今回の食事は日本食が多く、おいしいものであったが、パキスタン人に任せておくと毎日チャパティ(薄っぺらいナンのようなもの)とチキンカレーの連続で、飽きてくる。
8月26日 曇り時々晴れ
タシュクルガン6:30〜ススト18:30
中国に買い物にきたパキスタン人が非常にたくさんの荷物をバスに積み込むため、税関で2時間半近くも待たされ、途中で何回もチェックのため、バスから降ろされ、スストについたのは18時30分であった。出国スタンプを忘れていてもう1日中国に拘留させられるところであったが、それは旅行者の義務だそうである。
8月27日 晴れ
ススト7:30〜フンザ9:3011:00〜ホバー氷河
ナガル谷は、非常に緑豊で奇麗な谷であった。
8月28日 晴れ
米山・池内
フンザ6:30〜ウルタルB.C.〜ホームパス(4200m)10:30〜フンザ14:00
15:00〜ギルギット16:00
少しパッキリピークが簡単で力が有り余っていたので、地元のガイドを雇ってホームパスを往復することに。高度順応がうまくいっていたので、わずか4時間で1700mを登る。ウルタル、レディーフィンガーがばっちり見ることができた。
雨宮・飯田
フンザ〜フンザビューポイント
8月29日 快晴
ギルギット12:00〜チラス15:00
チラスは、42度もあり、大変寝苦しい夜を過ごす。
8月30日 晴れ
チラス6:30〜バブサール峠(4200m)10:00〜ナラン(2500m)16:00
バブサール峠までは治安が悪く車を止めることもできなかった。また、壊れた橋や崖での傾いた道などで、スリルのある1日になった。
8月31日 晴れのち夕立
ナラン7:00〜サイフルムルク湖8:00〜ナラン9:00〜バラコット15:30
早くイスラマバードに着いてもすることがないので、サイフルムルク湖を見に行く。
9月1日 曇り後夕立
バラコット6:30〜マンセラ7:00〜イスラマバード10:30
日パトラベルのホテルに着くと、久しぶりにアジの開きを食べる。
9月2日 晴れ後夕立
イスラマバード9:00〜岩塩鉱山〜イスラマバード15:00
イスラマバードから2時間半ほどで着く。鉱山の奥は広く、あるホールは天井まで100m以上あるという。岩塩を分けてもらう。
9月3日 曇り、夕立
イスラマバード8:00〜成田(9/4)
(文責 池内 友宏)